こんにちは。青砥美穂です。
中学2年生のFちゃんが相談があると打ち明けてくれました。
「学芸会でみんなで劇をやることになって、すごくやりたい役があるのにどうしても言い出せない。。『おまえなんかがやれる役じゃない』『相応しくない』などと思われるのが恥ずかしくて、諦めそうになっている、、けど諦めたくない!!」
わかるーーーーー!!!!!
私も同じような体験いっぱいしてきたし、今も時々してしまう(汗
と思われた方はどのくらいいらっしゃいますか。(私はそうです&上記は私の心の声です笑)
そして、こんな悩みは私たちだけでなく、他の子どもたち生徒たちからもよく聞く話です。
先日も、「やりたい髪型があるのだけど、『似合わない』とか『張り切ってそんなことしちゃって!』って思われるのが恥ずかしくてできない。。」という相談をされたばかりでした。
そう、「羞恥心」が私たちのやりたいこと、ありたい状態を邪魔することがあります。
しかも、起こってもないことを勝手に想像して恥ずかしくなってこれまで逃したチャンス、どれくらいあったでしょう。(*もちろん羞恥心も必要だから生じるもので、それを持っていることで良い影響があることもたくさんあると思います)
今回は、こんなふうに「羞恥心」によって身動きがとれなくなっている子どもたち学生たち(&自分たち←私の場合)と一緒に話し合ったら良いかもしれないこと、気をつけていることを共有させてください:
● それは「自分軸」か「他人軸」か
私たちが恥ずかしさ、羞恥心を持って何かを諦めそうになったり、やらないでおこうとしたり落ち込んだりするとき、まず考えてみたいこととして
「その決断は『自分軸』なのか『他人軸』なのか」
ということがあります。
自分がどうしたいか、どうしたくないかに沿って決めているのか、それとも他人がこう思うから(しかも想像だから確かではないかもしれないけれど)決めているのか、まずそこから整理してみてはいかがでしょう。
そうすると、ほとんどの場合、他人軸で考えていることが多いかもしれません。
それに気づいた上で、どうしたいかのかを考えます。
● それぞれの軸からの言葉を書き出し整理してみる
もしどちらの軸に自分がいるかに気づいた後もまだ迷いがある場合は、「自分軸」で考えた時に自分の中に浮かぶ言葉や思い、「他人軸」で考えた時に浮かぶ言葉や思いを書き出して整理してみます。
そうすることで「本当の本当は自分がどうしたいのか」ということをより深く考えて決断できるかもしれません。
先程のFちゃんは以下のようにまとめてくれました。
【他人軸】おまえなんかがやれる役じゃない」「相応しくない」と思われそう。馬鹿にされて笑われたら恥ずかしい。
【自分軸】憧れのあの役をもらえたら本当に嬉しい!難しくても自分の演技力をあげることにつながるだろうし、良い経験になるだろう。もしその役につきたいことを言えたら、たとえその役をもらえなかったとしても諦めがつくし、また次の挑戦もしやすくなる。たとえ馬鹿にされて嫌な思いをしたとしても、言い出せなかった時に感じる嫌な気持ちより小さいかもしれない。
まとめているうちに、「わー!明日絶対欲しい役を正直に言おう!自分のやりたい方向に行っても誰も傷つけない。自分が勝手に感じている恥ずかしささえ乗り越えればいいだけですね!」と言い出しました。
さらに「よくよく考えると、他人がどう思っているかなんて正確にわかることできないですよね!そんなことに振り回されて自分の大事なものを失いたくない!」と。
そして、勇気を出して次の日欲しい役を打ち明けたそうです。
彼女が驚いたことには、誰も自分を馬鹿にしなかった(と少なくとも彼女は感じた)ということでした。やはり勝手に頭の中でつくり上げてしまっている負の妄想、それに対する羞恥心がたくさんありそうですね。
「整理しているうちに、もはや馬鹿にされていたとしてももういいやと思えました!」と清々しい顔で話してくれました。
(見習いたい!眩しい!と私は思いました。はい、見習っていきます。)
●一緒に「ノる」
最後に、これはちょっと上の2つとは種類が違いますが、私が子どもたち学生たちが何か新しいことに挑戦したり自己表現をしようとしているときに一緒に居合わせることができたら心掛けていること、それは「一緒に『ノる』」ということです。
その子がいきたい方向、やりたいことに向かっていることに対して心から一緒にノらせてもらいます。例えば歌っていたら一緒に入り込んで身体を揺らしたり、話していたらうっとり聞き入ったり、とにかく嘲笑じみたことや何かネガティブな思いを持ったフィードバックを与えないのはあたりまえでできる限りその世界に一緒に入れてもらいます。
「羞恥心」は、そもそも他者との関係の中で何かネガティブなことがあり学習されていくものだと思うので、何か新しい挑戦や表現をみせてもらったらそれを一緒に楽しんで(ノって)羞恥心が起こらないように過ごしています。(もちろんネガティブなことを伝える必要があるときは正直にそうしますが、ほとんどの場合ないので)
一人の人がどのくらい「羞恥心」をもっているかは、その人のいる文化、家庭、個性などによって全然違いますよね。であれば、不要な羞恥心を感じさせずに「一緒にノる」ということをする場所があってもいいのではないかと感じています。もっと言うと「ノルこと」で私という存在が透明人間のようになり、一緒にいるけれど自分が相手のネガティブな反応を予測したり恐れたりすることなくありのままの自分らしくいられるという体験をしてもらえたらなあと感じています。
何か新しい挑戦や表現をしようと相談に来る子どもたちや生徒たちは、「どう思われるか」をすごく気にしながら話してくれることが多いです。
受け入れられ、自分がありのままの自分らしくいることを肯定され、そういう成功体験や自分のワールドに浸る楽しみや喜びが積み重なっていけば、誰がなんと言おうと他人の力を借りなくても自分の進みたい方向に羞恥心を乗り越えて進んでいけるようになるのではないかと思っています。
私たちが何かをしようとしたり表現しようとしたりすると現れることの多い妄想の(?)「羞恥心」
どう付き合うかで学べること、切り拓いていけることなど、たくさんありそうですね!
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お読みいただきありがとうございました。
続いてこのブログの内容の神経科学の視点からの音声コメント「あおとのぉと」はこちらです:
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