こんにちは。青砥美穂です。
突然ですが、この言葉 "Practice makes permanent."
私なりの訳は、「練習を積めば(そのやり方が)永久に身に付いていく」ですが、お聞きになったことありますか。
一般的によく言われるのは、"Practice makes perfect. "(練習を積むことで完璧になっていく)という表現ですが、この2つの違い、どんなふうに感じられますか?
この "Practice makes permanent"(練習を積めば(そのやり方が)永久に身に付いていくという)言葉は、私が日本語教師の資格を取るため日本語教授法を習っていた際、その教授法をつくりだしたアメリカ人の言語学の先生に何度も何度も言われ、ずっと心に残っている言葉です。
ちょっと話はそれてしまいますが、当時私は、大学の日本語の授業を担当して大学生に日本語を教えさせてもらう代わりに、大学院の授業料とアパートとカフェテリアの食事が免除され、しかも少しお小遣いももらえる、という非常に有難いプログラムで留学をさせてもらえることになっていました。(このおかげで大学院留学が叶ったので、今でもすごく感謝しているプログラムです。)そんなわけで、留学前にフィラデルフィアの大学で数ヶ月缶詰になって日本語教師の資格をとる研修を受けていたのです。
私が学んだ日本語教授法は、クラスの中での発話に関して、教師も生徒も初日から英語は一切使わず日本語だけというとても興味深い教授法でした。幼い子どもにそういうアプローチをとるのは一般的ですが、ある程度第一言語が定着している大人たちの場合は、第一言語を使って教えるクラスも多いですよね。
ですが、この教授法では、細かい文法の説明などは全部教科書や動画で学生が学べるようになっているので自習してもらい、クラスでは私たち講師が日本人であることを活かし、徹底的に本場の日本語を学ぶということになっていました。
そして、この教授法(ジョーデンメソッド)を開発したジョーデン先生という方が、いつもおっしゃっていたんです:
"Practice makes parmanent!"
「言語は一生懸命勉強するだけでは決して完璧にはならない。Practice makes parfect (練習を積むことで完璧になっていく)ということでは決してない。表現も文法も発音も、間違ったものを繰り返し練習していたら、どんなに頑張って学んでどんなに練習しても学んでも、ただその間違った発音や表現のの癖がつくだけ。つまり、Practice makes permanent. (練習を積めば(そのやり方が)永久に身に付いていく。) だから本当に使える日本語を学ぶには、ネイティブの教師から正しい表現と発音を学ばなければならない。」と。
確かに「正しい練習を積み重ねる」って本当に大切だなあと、学生たちが使える日本語をどんどん習得していくのをみながら深く納得したのを覚えています。
もちろんこれは、言語に限らずあらゆることにおいていえますよね。
「間違ったやり方ではなく、『正しい練習』を積むことでパーフェクトに近づいていく」
言語、スポーツ、芸術、勉強、みなさんも挙げられる例をたくさんお持ちではないでしょうか。私も、子どもたちと色々な経験をさせてもらった中でいくつもの事例が浮かびます。
例えば、
水泳教室に2年通っているのに、「どんなに練習してもまだ25mも泳ぐことができない。水が怖いし水泳は大嫌い!」と言っていた小学生が、教室を変えてコーチと指導法が変わった途端、ぐんぐん泳げるようになり、水泳も好きになりました。
また、数学が苦手で全然わからないと言っていた中学生が、ある参考書に出会い、考え方、捉え方を変えたらよくわかるようになり成績もぐんぐん上がりました。
まだまだ数え切れないほどの例がありますが、どれも正しい練習、正しい学びの重要性をあらためて教えてくれます。
ですが、ここでいう「正しさ」とはどんなものなのでしょうか。
これは、やはりやろうとしていること、また個人によって変わってくるのではないでしょうか。ある人には合うやり方が別の子には合わないということも往々にしてあると思います。その子どもに合うやり方、自分に合うやり方をじっくり模索していくことが大切だなあと感じます。
嫌い、苦手と思っていたものが本当は全然違ったという例は枚挙にいとまがないですし、みなさんもご経験をお持ちのことと思います。何かができなくても、それはもしかしたら自分がそれを苦手としているのではなくやり方があっていないのかもしれません。
また、やり方だけでなく、「環境」も影響するのではないでしょうか。
例えば、私自身の例ですが、幼い頃は楽器をひいたり絵をかいたりなどの芸術活動がとても苦手だと思っていました。決して嫌いではなかったのですが、上手じゃない、下手だと思い込んでいたので苦手意識が先行し、結果そのような活動からは遠のいていくうちに嫌いだと思い込んでいました。美術館も自分は行ってはいけない場所のように感じていました。
ところが、大人になるにつれて、美術館がすごく好きになり、最近習い始めたウクレレも「趣味」といえるほどハマってしまっています。(上手とはいえませんが、昔のピアノより上達のスピードがずっと速いと感じています)
幼い頃の私に何が起こっていたのかを今思い起こすと、ピアノや絵がうまかった姉がいつも近くにいて姉と自分を比べることでていたからだと気づきました。
こんなふうに、やり方の問題だけでなく、環境から生じる感情的な問題をクリアすることによっても、苦手だと思っていたこと、嫌いだと思っていたことが実は得意だったり好きだったりするかもしれません。
みなさんもこのようなご経験や周りの例をたくさんみていらっしゃると思いますが、あらためてお子さんやご自身に関して、「苦手」「嫌い」を見つめ直してみるのはいかがでしょう。
ただ、Practice makes permanentがネガティブに作用しているだけかもしれません。これがポジティブに作用したら、また広がっていく可能性や楽しい世界がありそうな気がしています。
お読みいただきありがとうございました。
続いて、この内容に関する神経科学の視点からのコメント「あおとのぉと」はこちらです:
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